このたび集めた言葉は今の私の言葉である、というのが今の私の実感である。 例えば、「教食」という言葉。私はこの前を毎日通っているし、しばしば友達とご飯を食べている。キャンパスことば辞典にあるのは私の生活には欠かせない言葉である。また私の中を通り過ぎていく言葉の一つであると言い換えることもできる。広島大学を卒業してどこか別の場所で生活するようになれば、私は「教食」という言葉を使うことはなくなるだろう。それはなんだか感傷的なことのように感じる。しかしそれは次の新しい言葉を使う機会を得られるということでもある。新しい言葉と出会うのはとても楽しいことである。ここに集められた言葉たちも私たちが使わなくなったとしても広島大学がある限り新しい人々と出会い、使われ、あるいは忘れられて、新しく作られることもあるだろう。私がこのキャンパスことばの続きを見ていけないことは残念であるが、今回私がこのキャンパスことば辞典に携われたことは少しかっこよく言えば、「今の私がここにいる」ということの証明だといえるだろう。 私はこの辞典に収められたことばの説明を読んでいて何度も笑ってしまった。私が今ここにいる証をあらゆる人に見て頂けることになり、とても嬉しく思う。 面白いところは、ぜひ大きな声で笑ってください。